こんにちは!
今回は湯島や御茶ノ水周辺を散歩してきました。もともと湯島天神にはお参りしたいと思っていたんですが、調べると湯島聖堂や有名な神田明神も近くにあったのでそちらにも行ってきました。まずは湯島聖堂からです。
御茶ノ水駅からすぐ、湯島聖堂へ
御茶ノ水駅を降りてすぐ。聖橋口を出て聖橋のほうへ行くと、右手に林が見えました。
これ御茶ノ水駅から出てすぐを左に曲がって向かったんですが、湯島聖堂は反対側なんですね。最初に横断歩道を渡っておけばよかったです。
でもまあくるっと回って、すぐに門に到着。

駅から一番近い門は、どうも正門ではないようです。地図を見てみると、橋の下に潜るような階段があるのでそちらが正門のようです。
で、緑の生い茂った道を歩くと…

儒学の祖、孔子のお目見えです。像が予想以上にクソデカでビビりました。こんな大きかったら、弟子に与える威圧感は相当のものだったでしょう。「お前、飲み物買って来いよ」と言われたら即ダッシュします。
ここで、そもそも湯島聖堂とは?
徳川五代将軍綱吉は儒学の振興を図るため、元禄3年(1690)湯島の地に聖堂を創建して上野忍岡の林家私邸にあった廟殿と林家の家塾をここに移しました。これが現在の湯島聖堂の始まりです。
史跡湯島聖堂,公益財団法人斯文会のホームページ
勉学がお好きであったらしい5代将軍、徳川綱吉。孔子の興した儒学をより広めるため、学ぶ場所をここに作ったんですね。
儒学といえば、高校の日本史で出てくる林羅山が思い浮かびます。
林羅山
国立国会図書館 ホームページ
江戸時代初期の儒学者。藤原惺窩に師事し、徳川家康から家綱まで4代の将軍に仕え、侍講(主君に学問を教える人)を務めた。
この人によって、江戸時代初期に儒学が広まりました。その林さんたちがやっていた塾を上野からこの湯島に移して、幕府の公式のお墨付きをもらって儒学を教えるようになった、ということでしょうか。
ちなみに僕は高校1、2年生のときに勉強をサボりすぎて成績がスーパー降下してしまった(というか最初から低かった)ので、3年から塾の東進に通ってなんとかことなきを(?)得ました。オンラインでいろんな情報が得られる今と違い、江戸時代だと日常の移動範囲が限られます。近くに良い学ぶ場所があるかどうかで、だいぶ将来が変わるんじゃないかなあと思ったり。

説明を読むと、綱吉自身も「論語」の講釈などしていたようですね。ほあー、勉強熱心ですね。「生類憐みの令」など悪名高い印象がどうしても強いですが、一方で庶民に儒教の思想を根付かせ、秩序を正したという評価も最近はあるようです。今後、歴史の教科書にはどのように書かれるんでしょうね。
昌平坂学問所は?
日本史を学んでいるときに思ったんですが、「湯島聖堂」と「昌平坂学問所」ってごっちゃになるんですよ。どっちも江戸時代の塾らしいけど、何が違うの?みたいな。いまだに僕は、「東進ハイスクール」と「東進衛星予備校」の違いを知りません。
そこで上の説明を読むと、
1797年、敷地を広げると同時に建物を改築。「昌平坂学問所」へ名前を変更したようです。
あ、同じ場所ですか。時間が違ったんですね。最初は湯島聖堂と呼ばれたものが、拡大とともに昌平坂学問所という名称になったんですね。

学問所の跡が残っているだけなのでほぼ通り抜けるだけなんですが、この日はめちゃくちゃ暑かった(37℃くらい)のでいい避暑になりました。
ちなみに土日祝だと、孔子を祀った「大成殿」の中も見れるようです。

ここまでお読みいただきありがとうございました。
次回は、神田明神へお参りします。
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