こんにちは!
湯島シリーズの最後、湯島天神(湯島天満宮)に行ってきました。
公式サイト 湯島天神公式サイト
御茶ノ水駅から徒歩15分ほど
御茶ノ水駅周辺の湯島聖堂と神田明神を見たあとは、少し歩いて湯島天神へお参りしてきました。

御茶ノ水駅の聖橋口から出てずっとまっすぐ。坂のアップダウンがわりときついかもです。湯島天神へ行くだけなら、地下鉄の湯島駅が最寄ですね。

歩いていると前方には荘厳な雰囲気の森(林?)が出現。突き当りにありました。
帰るとき気づいたんですが、より正門(?)ぽいものは北側の春日通り沿いにありました。

まあどちらからでもいいでしょう。ペコリとお辞儀をして、ご由緒の看板を拝見します。湯島天神(湯島天満宮)といえば、学問の神様として有名な菅原道真を祀っていることぐらいは知っています。
湯島天神は 雄略天皇二年(458)一月 勅命により創建と伝えられ、天之手力雄命を奉斎したのがはじまりで、降って正平十年(1355)二月郷民が菅公の御偉徳を慕い、文道の大祖と崇め本社に勧請しあわせて奉祀し…
湯島天満宮縁起
しかしありゃ、この湯島天神が創建されたのは458年と伝えられているらしい。高校の日本史で出てきた、雄略天皇の命令で作られたそうです。菅原道真が生きたのはそのもっと後のことです。
てっきり僕は、菅原道真の死後に作られた場所なのかと思っていました。
1355年、民衆が菅原道真を慕ってこの神社に奉祀したそうです。なのでご祭神は
天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)…創建のときに祀られた
菅原道真(すがわらのみちざね)…1355年に祀られた
というふうにお二人(単位がわからん)になってるんですね。上の方は、テストで名前を書くのが大変そうですね。欄からはみ出そう。
菅原道真
学問や文化芸術の神様として崇められている。平安時代に活躍。めちゃくちゃ勉学に秀でて、すごいスピードで昇進した。右大臣にまで上り詰めたが、左大臣の藤原時平にあることないこと言われて九州に左遷されてしまった。
菅原道真といえばやはり学問の神様。5歳にして和歌を詠めたそうです。僕が5歳のときは、「ウォーターボーイズ」を保育園で踊っていました。興味ないですか。すみません。
菅原道真が祀られていることで有名なのは、やはり九州の太宰府天満宮ですね。しかしこちらの地方ならやはり湯島天神でしょう。多くの受験生が合格祈願に訪れるようです。


なんで菅原道真はこのように神様として崇められるようになったのでしょう。「天神信仰」というワードがあるようです。
「天神信仰」とは、神さまとして崇められた菅原道真公の神霊に対する信仰をいいます。本来は、天神とはは地神(くにつかみ)に対する「あまつかみ」で、特定の神さまをさすものではありませんでしたが、菅原道真公が火雷天神と称され、雷神信仰と結びついたり、「天満大自在天神」の神号を賜わったことにより、菅公の神霊への信仰を、「天神信仰」と一般的に呼ぶようになりました。
湯島天満宮縁起
「菅原道真公が火雷天神と称され…」とあります。
策謀にはめられ九州に左遷された菅原道真の死後、荒天が続いたり有力者が死去したりするということが続きました。そしてそれは道真の怨霊の仕業ではないか…とささやかれるようになったとか。資料集にもなにかそのような場面の画があったような。でんでんだいこ持ってる霊が「うえ~いww」みたいなやつ。だめだ伝わらん。
菅公の怒りが雷の形で現れると信じた人々の信仰は、藤原氏をはじめとする都の貴族たちには恐怖と畏怖の念でとらえられましたが、一般農民には水田耕作に必要な雨と水をもたらす雷神(天神)として、稲の実りを授ける神、めぐみの神となって、広く全国に崇敬されていったのです。
湯島天満宮縁起
一方でそのようにたくさん雨が降るという状態は、農民たちにはありがたかったわけなんですね。それで恵みの神として信仰されるようにもなったようです。雨を降らしてくれる「天神」というわけなんですね。
あれ、もしかしたら福岡の有名な繁華街、「天神」の地名にも関係あるんでしょうか?
境内を散策
夏に行ったのでよく葉が茂っていました。


そんなに広いわけではない敷地に、けっこう木が植えられています。都会のオアシス。大久保ではなく湯島です。
撮ってないですけど、合格祈願の絵馬もたくさんありました。一番人気はやはり、
デジタルハリウッド大学
のようですね。ウソです。
奥のほうへ歩いていくと住宅街のほうへ行けるわけですが、そこには坂が2つ。


急な男坂と、踊り場があってなだらか(?)な女坂です。男坂はなにか映画で出てきそうな雰囲気でよいですね。いま写真を見て気づいたんですが、手すりにグネグネしたものがついてますね。小学校のとき階段の手すりにケツを滑らして「うぃいーーww」ってやる遊びがあったと思います(たぶん)が、ここでやるとクソ痛そう。むしろそれ防止なんだろうか。
女坂は平面の部分が合間合間にあるので、足を踏み外しても大丈夫そうです。ゴロゴロ転がっても、きっと止まれます。
そうえいば公式サイトには「撫で牛」というのがいる、という表記があったんですが、どうもぼくの記憶にも写真フォルダにもありません。菅原道真はずいぶん牛を慈しんでいたそうです。うーむ縁起のためになでてみたかったな。
というわけで湯島天神(湯島天満宮)でした。学業で成し遂げたいことがある方はぜひ。
おまけ(喫茶でひとやすみ)
御茶ノ水エリアを徘徊したあと、昼時の時間だったので昼食をどうしようかと思いました。ところが結局ご飯を食べるでもなく、雰囲気につられ神田明神にある喫茶店へ…。

神田明神の参道にありました。これはカフェではなく、「カフェー」と呼ばねばならぬな。
乙コーヒー(食べログ)

これは僕が座った入口付近の写真です。奥にはテーブル席やソファーがあり、4人ぐらいのサラリーマンのグループもいました。

昔、「君は何を着ても寝間着に見えるね」と言われたことのあるセンスの僕でも、これがオシャレということぐらいはわかりますよ。いや、これは「お洒落」か。すみませんうざいですね。
持ってきた本を読みながら、疲れた足を休めました。何やらエリアも相まって、明治の文豪にでもなった気分ですね。夏目漱石『こころ』、森鴎外『舞姫』など、国語の授業でよくスヤスヤ寝ていたのを思い出します。もちろん内容は覚えてません。アレ?
そんなわけで、湯島聖堂、神田明神、湯島天神を巡った御茶ノ水エリアでした。ここまでお読みいただきありがとうございました。
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